天岩の歩みと4代目主人の思い
初代 岩吉(いわきち)
1905年 曾祖父の岩吉が大阪の天保山で穴子の卸商を始めました。1905年の時代背景は日本が日露戦争で勝利を納めた年です。明治維新という近代国家成立からわずか40年足らずで大国に戦いを挑んだ日本です。
【天岩】という屋号は、“天保山”で“岩吉”が始めたので、頭文字をとって【天岩】と名付けました。
穴子は他の魚と比べるとさばき方が難しいと言われており、手先が器用だった岩吉が捌いた穴子は「身が引き締まって骨も当たらず、調理したときに旨い」と定評があり、当時から高級料理屋、寿司屋に贔屓にしていただいていました。今でも当時から変わらず、老舗有名店にご贔屓にしていただいています。
そして岩吉は自分が持っている知識や技術を惜しみなく教える人で、その魂は二代目にも引き継がれました。韓国から要請があり、二代目の時代、組合が協力して韓国に渡り、穴子漁、鮮度を保った穴子の捌き方、焼き方、タレのレシピ、商売の仕方に至るまでとことん伝授しました。
韓国は現在も穴子漁が盛んですが、もしかしたらそのいったんを担ったのかもしれません。
原 点
物心ついたころからおやじやおふくろのお手伝いということで穴子、鰻の卸売りの手伝いを始めました。
曾祖母、祖父、祖母、叔父、叔母が一緒に働く大所帯。真夜中から男性陣は穴子と鰻をさばく。女性陣は頭に手ぬぐいをかぶり、ひとつひとつ手焼き、炭火で焼く。そして私はさばいた穴子を洗ったり、焼いた穴子を干し台に運んだり。それが私の原点です。
創業以来、百二十年余り。穴子に合う醤油を厳選し、そこに穴子の出汁を加え、継ぎ足し継ぎ足しで変わらぬ「天岩の味」をお届けします。
普段は穴子、鰻の卸を専門にやっていますが、美味しい穴子と鰻を「お弁当」という形でみなさまにできるだけ安価でお召し上がりいただけるよう日々精進いたします。
大切なてぬぐい
曾祖母、祖母、叔母、おふくろと言えば、仕事場で頭に手ぬぐいを頭にかぶって作業をしている姿。
若い頃は「てぬぐいなんて・・・」ちょっと恥ずかしい気持ちがたっていましたが、今では最高にかっこいい大切な仕事道具のひとつ。私も頭にてぬぐいを巻いてお弁当を作ります。
お母さん
80才に届く私の母はいまだに現役、真夜中から起きて穴子を焼いています。
私が中学生の時に、おやじとおふくろが本家からのれん分けという形で独立。苦労を重ね、穴子屋の商売を支えてきました。
一年中冷たい水に触るので、お母さんの手は皺だらけ。
それでも、お母さんは人前でもそれを隠そうとせず、堂々と出している。
「美味しいと言うてくれはることが一番の幸せ」
お母さんから出る言葉は、今も昔も変わりません。
人生を「穴子屋さんのため」に捧げてきたと思っています。
商売のやり方で、母から相談されることはありますが、
穴子を焼くタレの調合は、どうやってもお母さんにはかなわない。
私にとって、お母さんは母親でもあり、穴子屋の師匠でもあります。

